オーストラリアには見どころが多く、魅力的なところです。1995年にセミパックツァーで、ゴールドコースト、シドニー、メルボルンを巡りました。2000年のゴールデンウィークには、グレート バーリア リーフ、エアーズロックを訪れ、そして、世界唯一の大陸横断列車に乘るオーストラリア横断の旅に出かけました。


オーストラリア横断の旅のコース Googleマップ使用

4月27日(木)成田20:15発JAL767便で出発。グレートバリアリーフの玄関口のケアンズCaiansに28日早朝4:30に到着しました。3泊し、5月1日(月)7:30発カンタス航空QF935便で、エアーズロックAyers Rock10:20分着。1泊して、5月2日(火)14:30発QF935便で、インド洋に面しパースPerth 16:05到着。3泊ののち、5月5日(金)東パース駅10:55発大陸横断列車The Indian Pacificに乗車、車中2泊、南オーストラリア州の州都、アデレードAdelaide5月7日(日)6:05到着。アデレードを少し見たあと、15:20発QF516便で、シドニーSydney17:40着。2泊して、5月9日(火)9:30発JAL772便で、成田18:10着。先ず、北東のケアンズからたすき掛けで南西のパースまで南下し、パースから列車と飛行機で南東のシドニーまで、オーストラリア大陸を縦横断した11泊13日の旅でした。


南国ムードのThe Oasis Resort Cairns


南グリーン島でパラセーリングに挑戦

 ケアンズのホテルは南国ムード満点のプールを中庭にしたThe Oasis Resort Cairns。ケアンズは熱帯でした。この日はゆっくり休み、夜行便の疲れを癒し、翌日は高速カタマランという双胴船に乗り、コーラルアイランドのグリーン島により、グレートバーリアリーフに行きました。グリーン島では、パラセーリングにチャレンジしました。スリルもあり、思い出になりました。グリーン島から、1時間でグレートバーリアリーフに到着。ポンツーンという常設の浮桟橋があり、これをベースにダイビング、シュノーケリングなどのアクティビティを行いランチブッフェもここで取ります。シュノーケリングにチャレンジしましたが、いきなりでは無理でした。また、前日まで雨が降り続いていたので、珊瑚礁は川から流入した泥をかぶったそうで、いまいちでした。また、 ポンツーンはゆっくりと揺れており、軽い船酔いのような状態になり、ブッフェランチでも、ビールを飲む気にはなれませんでした。ブッフェの料理はすべて乘って来た船で運んできたものを、ポンツーンで手早くセットしていました。帰りの時も、手際よく、撤収し、船がポンツーンを離れようとしたとき、船員が大声で、Do not move!
と叫び、客の間を走り廻っていました。ヘッド カウンティングとのこと。乗せてきたときと頭数が同じであることを確認してから、出発するとのこと。効率が良く、機敏なサービスと安全確認には敬服しました。


キュランダンシーニック鉄道の列車       ケアンズ駅

  
オッポサム と ワラビー

 ケアンズ駅から、33km、熱帯雨林の中のバロン渓谷に沿って、標高328mのキュランダ駅まで、登るキュランダ・シーニック鉄道(Kuranda Scenic Railway)に乘りました。4両のクラシックな客車をディーゼル機関車が牽いて、登り、1時間45分で、到達する予定でしたが、勾配に差し掛かる前に、機関車が故障してしまい、代替機の到着を待ち、1時間半ほど、遅れてしまいました。この鉄道は元々、錫鉱山への物資輸送などを目的とした鉄道で、1日2便の観光列車が運行されていました。渓谷沿いにはバロン滝などいくつかの滝が車窓近くにありました。列車が遅れたため、キュランダで過ごす時間はほとんどなく、熱帯雨林の上、30mほどの高所を行く、スカイレールと称するロープウエーで、1時間ほどかけて帰りました。空中から、ニシキヘビの巣などを観察しながら、途中、2回乗り継ぎ、地上からの熱帯雨林観察とバロン滝を列車と反対側から眺めることが出来ました。
 オーストラリアの野生動物は夜行性のものが多く、夜の森でバーベキューをしながら、動物を観察するローカルツアーに参加しました。カモノハシが棲んでいるという小川の岸でバーベキューをしましたがお相伴に預かりたく、オポッサムなどは出てきて呉れましたが、カモノハシにはお目に掛れませんでした。透明な水枕のようなものに入っていたワインは冷えていて美味しく、お目当てのものには会えませんでしたが、楽しく、過ごしました。


夕日に映えるエアーズロック

次のお目当てはエアーズロックでした。出来れば、鉄道で行きたいと思いましたが、果たせませんでした。アデレードから現在ではダーウインまで、オーストラリア大陸を縦断している
The Ghanが当時はアデレードからアリススプリングスまで運行しており、アリススプリングスはエアーズロックの玄関口のように思われていました。しかし、約300km離れており、ここから日帰りは無理なようでした。カンタス航空が海外からの観光客向けに、割安な国内便のパスを出していることを知り、ケアンズから、直接、エアーズロック・リゾートに飛ぶことにしました。5軒あるホテルはすべて同じ会社でやっているようで、かなり高い!予約はシドニーの予約センターにFaxで申しこまねばなりません。一番、経済的なSpinifex Lodgeにしました。Spinifexはこのあたりの砂漠に生えている草の名です。熱帯のケアンズから、乾燥した半砂漠のオーストラリアの内陸部のほとんどを占める「アウトバック」のただなかに来ました。
エアーズロックはこのSpinifexの生える大平原の真ん中に鎮座しておりました。高さ350m程で、登る人も多いようですが、原住民アボリジニの聖地で、出来れば、登って欲しくないとのこと。また、登って、大平原を見渡しても、あまり、変化があるとは思えず、岩を一周したあと、夕日に映えるエアーズロックを見て、ワインで乾杯をしました。岩の一部から水のしみ出ているところがあり、不思議に思いました。現在はエアーズロックでなく、アボリジニの称する「ウルル」と言っているようです。翌朝、「風の谷のナウシカ」のイメージになった奇岩地帯のカタジュンタに行き、午後の飛行機でパースに飛びました。


キングスパークからスワン川とパース中心街を望む

 インド洋側で、オーストラリア大陸の3分の一を占める西オーストラリア州の州都、パースperthは都市圏人口110万人の大都市です。スワン側に沿ったきれいな街です。広大なキングスパークから見渡すパースの街は絶景です。しかし、北米、ヨーロッパの大都市はもとより、オーストラリアのシドニー、メルボルンからも遠く離れており、世界で最も孤立した都市と言われています。そのせいか?中心街のシティも整然として、クリーンですが、なにか?寂しさが漂っている感じです。
 近郊の一番の見どころはピナクルスとそこへ行く4WDのトラック改造のバスで、海岸の砂丘を越えるオフロードドライブですが、かなりラフなもので、トイレ休憩もなく、片道4時間とのことで、恐れをなして、内陸部の道路を走り、フランシスコ会の修道院に寄るベンツの5スターバスで、ピナクルスに行くことにしました。


ピナクルス

 砂丘の中に無数の尖塔のような岩が立ち並ぶ奇景がピナクルスでした。背景の空にあがる黒煙は山火事のようです。ユーカリの林が多いオーストラリアは山火事はよく起きており、このときも余り気にしていなかったように思います。
 5月5日、金曜日はいよいよ、大陸横断列車The Indian Pacificに乘る日です。


パースPerth(シティCity)駅の近郊電車

 パース中央駅のPerth City駅には2系統ある近郊電車のみが発着しておりました。西オーストラリアの鉄道はゲージ1,067mmの狭軌ですので、標準軌1,435mmゲージのThe Indian Pacificは入れません。近郊電車に乗り、東に3駅目の東パースEast Perth駅から発車します。




機廻り線を走るThe Indian Pacificの牽引機

東パース駅の近郊線ホームの西側にThe Indian Pacificが発着する長い長いホームがありました。立派な屋根付き島式ホームで、2線ありました。その東側に機廻り線があり、そのさらに東側に近郊線の狭軌線路がありました。牽引機が機廻り線にやってきました。


列車の先頭に連結した牽引機


The Indian Pacificのエンブレム、The wedge-tail eagle

 牽引機が1番線に居る列車の先頭に連結されました。でも、これで出発準備完了という訳ではありません。機関車の後ろに見える車運搬車Motorail2両を連結強度の関係でしょうか?最後尾に付け替えねばなりません。この2両を牽いたり、押したりして、客車の後ろまで移します。火曜日、金曜日出発の週2便で、シドニーからの列車は前日の朝到着して、客車はこのホームで点検、清掃。機関車はヤードに回送し、方向転換、整備、点検を行うようです。入れ替え用機関車など無いようで、本務機が、長旅の前にご苦労さんにも入れ替えの作業をやらねばならないようです。
 客車にはこの列車のエンブレム、ウェッジーテール・イーグルが羽ばたいております。オーストラリア最大の猛禽類で、羽を延ばすと2mに達するとのことです。


The Indian Pacificルートマップ

パースPerthからシドニーSydney迄、オーストラリア大陸の南をほぼ一直線に駆け抜けております。途中、南極海に沿ったアデレードAdeladeまで南下して、スイッチバックしてシドニーに向います。ナラボー平原Nullabor Plainの中の世界最長直線区間を走ります。(アデレードAdeladeからメルボルンMelbournまでは別列車The Overland)


The Indian Pacific基本編成(アデレードからパース行)

上の図は字が小さく、見にくいと思いますが、The Indian Pacificの標準編成です。機関車を含めて19両編成です。ツイン ファーストクラス寝台車Twin First class Sleeper、3両、 デラックス ツイン ファーストクラス寝台車Delax Twin First class Sleeper、1両、シングル ファーストクラス寝台車Single First class Sleeper、1両、ファーストクラス食堂車(Queen Adelade Restaurant)、ファーストクラスラウンジFirst class Lounge各1両、ホリディクラス ツイン寝台車2両、コーチクラス(座席車)coach class2両、ホリデイクラス、コーチクラス用食堂車Cafe Matilda,ラウンジNullabor Lounge 、それに、緩急車Brake Van、電源車Power Van、乗務員休憩用でしょうか?Staff carが連結されております。そして、最後尾には乗客の車を運ぶ車運搬車Motorailを2両繋いでおります。この編成でパースに到着。機関車を逆側に付け替え、Motorailを最後尾に付け替えます。

 この日はパース総督??の離任なのでしょうか?駅前で儀仗兵の見送りのセレモニーがあり、特別車両が、ファーストクラスの寝台車の前に連結されています。ホームでもセレモニーが行われ、出発時の機関車は撮ることが出来ませんでした。

  10:55、定刻にThe Indian Pacificは出発しました。シドニーSydney迄、4,352km、3泊4日、四日目の朝9:15にシドニー中央駅に到着の予定です。平均速度85km/h、最高速度115km/hとのことです。車中3泊はきついかな?と思ったのと、西オーストラリア州の州都、アデレードAdelaideもちょっと見たいので、アデレードまで、乘ることにしました。パースからアデレード迄、2,659km、(鹿児島~札幌間にほぼ相当します。)2泊3日で、三日目の朝6:05にアデレードに到着の予定です。ツインの個室寝台をインターネットで予約しました。 2人分で約13万円*と覚えていますが、今は1人15万円とのことです。(*そのときのパンフレットには$1018とあります。その時のオーストラリアドルの為替レートはどうだったのでしょうか?)

        

 

 ツインといっても、2段ベッドです。上左の写真は昼間の状態で、上段ベッドは頭の上に折り畳んでおります。座席の前のドアー(上右の写真)の中はトイレ&シャワールームです。
壁のステンレスのユニットの上を引くと洗面台(下左)、下にはトイレが現れます(下右)。両方を収納した状態で、シャワールームになります。天井にはシャワーヘッドがあります。狭いスペースに効率的に纏めてあります。 


ファーストクラス用食堂車Queen Adelaide Restrant

乗車して間もなく、昼食の案内がありました。すべて、4人用のテーブル席で、2人連れは必ず相席になります。ドイツ人の中年夫妻とご一緒することが多く、鉄道ファンの亭主に付き合い、この列車に乗り、その後、奥様のお好みのリゾートで一週間過ごすとのことでした。メルクリンを中心にたくさんのOゲージを持っており、休日には自宅でよく運転会を持つとのことでした。羨ましい限りです。食事代も列車の料金に含まれています。予想に反して、あっさりした味付けで、量もそれほど多くありませんでした。
 夜、20:00にカルグーリーKalgoorlieに到着です。ここは、金鉱山都市で、鉱山見学のエクスカージョンバスが用意されていましたが、真っ暗な夜の鉱山を見ても面白くない!と思い、街でもぶらぶらしたいと思いましたが、なにもありません。


ファーストクラス用ラウンジカー

 ラウンジカーで、お酒でも飲むしかありません。
一夜明けて、車窓を見ると何もない赤茶けた大平原を走っておりました。


夜明けの車窓に広がるナラボー平原

 この風景はいつまでも変わりません。世界最長480kmの直線レールを走っているようです。


ナラボー平原の真珠、クックCockに到着

 
駅の周りのナラボー平原をちょっと散策


真っ直ぐ延びるレール(パース方向)

9:42(WST)、ナラボー平原のど真ん中、クックCockに到着です。出発は12:42(CST)で2時間の大休憩です。機関車は給油、点検、客車には給水している間に、乗客は駅の廻りのナラボー平原を散策します。ここは、鉄道の運転の為の基地で、街はなく、数人の駅員しか、住人はいません。蒸気機関車で運転されていた時代にはかなりの人数の鉄道関係者が住んでおり、小学校もあったとのことですが、今では、廃墟になっておりました。見渡す限りの平原と、これらの廃墟以外に見るものはありません。広いオーストラリアにはWST(Western Standard Time)、CST(Central Standard Time)、EST(Eestern Standard Time)の標準時間があり、その間には1時間の時差があります。The Indian Pacificはクックで適用の標準時間を変えております。CSTはWSTに対し、1時間進みます。


牽引機 NR形、NR57号機 デイーゼル電気機関車

 牽引機はアメリカのGE製をオーストラリアで国産化したデイーゼル電気機関車(DEL)NRClassで、軸配置Co-Co、出力3000kW 、最高速度115km/hです。構造的にはアメリカのDELそのもので、エンジン、発電機、電動機共にGE製のようですが、キャブはオーストラリア人の好みに合わせたのか、顔つきが異なります。
 客車もステンレス製で、一昔前のアメリカのものをベースにしたのかも知れません。このときは、Motorail2両を含めて、20両を牽引していました。すこし、非力な感じがしますが、勾配も少ないので、これで良いのでしょう!現在が、重連で30両を牽いているとのことです。


大陸横断鉄道用蒸気機関車

 パースからアデレード間の大陸横断鉄道は、1917年10月に完成しましたが、区間により、レールのゲージが異なりましたので、パースからシドニー迄、5回の乗り換えを必要としました。これは州により、別のレールゲージ(軌間)を採用していたからです。例えば、西オーストラリア州のパースでは狭軌、1.067mmゲージ、南オーストラリア州、アデレードでは広軌1,600mmという具合です。この時代に使われていたと思われる蒸気機関車が東パース駅に保存展示されていました。蒸気機関車でナラボー平原を横断するのは大変であったと思われます。
 標準軌1、435mのレールが繋がったのは1969年で、1970年2月より、The Indian Pacificが走りはじめました。

The Indian Pacificは週2便(シドニー発、月、木、パース発、月、金)運行されて居りました。この日は車運搬車Motorail2両を含む20両を1台のDELが牽引しておりました。一台の機関車で、万一の故障の時、どうするのか?この旅のはじめに乘ったキュランダ・シーニック鉄道で機関車が故障して大幅に遅延しましたので、心配しましたが、問題なく、三日目の朝定刻の6:05アデレード、ケズウイックKeswic駅に到着しました。この駅も中央駅のAdelaide railway station ではなく、街のはずれにあります。Adelaide railway station には広軌1600mmゲージの近郊線のみ発着しており、標準軌1,435mmゲージの列車はこの駅から発着しておりました。現在、駅の機能を大幅に改善して、Adelaide Parklands Terminal と改称されたようです。この駅はGreat Southern Rail(GSR)の本拠地のようで、ここから、オーストラリア大陸の真ん中を縦断してダーウィンまで行くThe Ghanもここから発車します。The Indian Pacificもここで、機関車の交換を行うものと思われます。


大アデレードのクラシックなトラム

南オーストラリア州の州都、アデレードは都市圏人口130万人の大都市ですが、中心部に大きな公園が広がる英国が作った美しい街でした。その公園の一角から、海岸リゾートに向うクラシックなトラムが出ていました。これに乘り、南極海に面したリゾートタウンに行きましたが、南極海の風は冷たく、海も荒く波立っておりました。
  午後の飛行機で、最終目的地シドニーに向いました。


レダブルデッカー、ステンレスカーのシドニー近郊電車


ブルーマウンテンのインコ


ハーバーブリッジの向うに沈む夕日

 シドニーは3回目です。シドニー近郊電車はほとんど2階建てのステンレスカーになっておりました。これに乘り、近郊の観光ポイント、ブルーマウンテンに行きました。急こう配のケーブルカーで谷におり、名所の奇岩、スリーシスターズを見ましたが、あまり印象に残っておりません。ケーブルカーの駅に居たカラフルなインコが何故か、記憶にあります。シドニーのシテイ―に隣接した公園ドメインにはたくさんの色とりどりな野生のオームやインコが居たのも、このインコに凝縮したのかも知れません。公園から、シドニー湾の面した突端に行き、ハーバーブリッジの向うに沈む夕日を拝みました。これがこの旅のフィナーレの光景になりました。

(2016-7-25)


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